2007年10月27日土曜日

「いふり湯」


このブログを更新するたびに、仕事が忙しいということを書いているので、また書くのも嫌なのだが、実際のところ忙しい状態が続いている。
 
このブログを果たして読んでいる人がどれだけいるのかわからない(少なくとも一人は愛読者はいるけれども)のだが、更新されるたびに仕事が忙しいと書いてあるのを見て、ため息が出るかもしれない。
 
なぜ、この国の人々はこれほど忙しいのだろうか....
 
しかし、この国の労苦多き人々にも、昔ながらの癒しの場が地域にある。
 
それが「銭湯」だ。
 
結婚してから、ひとつの楽しみは、妻と一緒に銭湯に行くことである。
 
駅から歩いて5、6分のところに「いふり湯」はある。いや、本当は「いなり湯」と読むのだが、僕とJOYはひらがなの古い表記が読めずに、少し変わった名前だなと心のどこかで思いながら、ずっとこの銭湯を「いふり湯」と呼んでいた。
 
実は、「いふり湯」とてもすごい銭湯なのだ。
 
今どきのスーパー銭湯のようにあらゆる種類の最新型のお風呂やサウナがあるわけではないが、何と銭湯であるのに温泉が湧いているのだ。その黒湯という温泉は、高温に沸かしてあって、入るたびに体の心まで暖まり、一気に血の巡りがよくなるのを感じる。
 
僕は大抵、バブルジェットバスに2回くらい入り、そして黒湯に3回くらい入る。そうすると、体中の疲れが一気にほぐれて抜けていくのを感じるのだ。
他にも、「いふり湯」のファンは地域に多いらしく、多くの疲れた人々、重荷を背負ったような人々がゆっくりと湯につかりににくる。
 
特に刺青の入った人を断る看板もないので、刺青の入った人も気兼ねなく来れる。最近はどこのスーパー銭湯行っても、お断りの看板があるので、こうした誰でも受け入れる銭湯はきっとありがたいことだろう。
 
脱衣する場所には、マッサージチェアがおいてあるのだが、僕はずっとそれは100円するだろうと思って使っていなかった。しかし、この前、実は10円であることに気づいた。それから、いつもお風呂を出た後、マッサージチェアに座り、腰や肩をもんでもらっている。これがまたとても気持ちいい。
 
そして新聞とか雑誌を読んでいると、番台のおじさんかおばさんが「おかえりですよ」と呼びかけてくれる。そう、JOYが出るときは、番台のおじさんかおばさんが知らせてくれるのだ。
 
いつも銭湯に入るときも、僕が番台のおじさんかおばさんに二人分の料金を払う。だから夫婦で来ていることはわかってもらっているのだ。
 
JOYはいつもお風呂から出ると、とてもすっきりした顔をしている。もう顔なじみのおばあちゃんとかがいて、少しおしゃべりするみたいだ。女性はすぐに打ち解けるからすごいな、と思う。男風呂では、みんな黙々と体を洗い、湯船につかる。
 
今週は疲れがかなりたまってきた木曜日に仕事を少し早めに切り上げ、駅でJOYと待ち合わせて、「いふり湯」に行った。そして、疲れが芯から抜ける思いがした。特に黒湯の威力はすごい。夜はよく寝て、次の日すっきりして仕事に行くことができた。
 
僕たち夫婦のささやかな癒しの場、それが「いふり湯」だ。そして、きっと妻と一緒にいくからまた楽しいのだろう。

2007年10月8日月曜日

ぶらっと浜辺 Ⅱ

この2週間ほど、仕事がとても忙しかった。

僕は、
実は仕事でビデオカメラのマニュアルの外国語版制作に携っているのだが、最近予定がころころ変わってしまい、短期間で外国語版マニュアルを制作せざる得ない状況となった。それに加えて、社内で人事の異動などがあり、やや混乱した状況の中で仕事をしていた。先々週は10時ごろまで仕事する日が続き、先週は月曜と火曜は何とか7時半ごろまでに会社を出れたが、水曜日からはまた遅くなってしまった。金曜日は11時半過ぎまで仕事をし、会社の戸締りをした。

JOYによると、僕は水曜日ごろから笑顔がなくなったらしい。家に帰っても、良い夫を演じて楽しい話をすることができず、仕事の愚痴ばかりを零してしまった。JOYも一生懸命に聞いてくれて、いろいろとアドバイスをしようとしてくれたのだが、僕はそのアドバイスが逆に負担となってしまい、JOYは本当に自分の状況を理解してくれていないと思い、心がふさぎこんでしまった。これもずいぶんと甘えた態度なのだが...

土曜日、午前中は寝込んでしまった。しかし、JOYと思いを伝え合うことができた。僕は、JOYのアドバイスが逆に負担になってしまったこと、そしてJOYは僕のことが心配で何とか解決を探していたことを、お互いに率直に伝えることができた。そして、やっと再び心を通い合わせることができた。

午後1時ごろ起きたのだろうか、JOYがパンケーキをつくってくれて、そしてソーセージも焼いてくれた。目覚めのコーヒーと一緒にとても充実した遅めの朝食だった。次第に魂が回復していくのを感じた

そして、何だかボーッとしているうちに4時ごろになってしまった。午前中まだ布団の中にいたとき、海に行きたいという思いが沸き起こってきたのだが、その思いが再燃してきた。そして僕らは4時半ごろ家を出て、海へと向かった。

海に着いたころにはもう暗くなってしまっているのではないかという焦りも心にいただきながら、僕らは京浜東北線と横須賀線を乗り継ぎ、葉山の海岸へと向かった。ようやく逗子駅に到着し、バスに乗った。しかし、バスに乗ってから、海岸沿いを走る路線ではなく、内陸(というと大げさだろうか)を通り、葉山の御用邸前に出る路線であることに気づいた。パスの中はなぜかとても込んでいた、道も込んでいたので、少し焦りがあったが、どうせこの路線で行くなら、長者ヶ崎まで行こうと決め、JOYも同意してくれた。

バスが御用邸の前を左折し、しばらく走ってから、右手に視界が開け、海が見えた。ちょうど日が落ちたばかりだったが、太陽の残光が海と空の境界線を真っ赤に染め、真ん中に富士山の美しいシルエットが浮かび上がっていた。この景色が見えたとき、バスの中で、わあきれい、という歓声があがった。混雑を抜け出して、ようやく見えた景色だっただけに、感動も大きかった。

僕らは長者ヶ崎前で降りて、そして海岸に向かった。

実は、ここは僕らにとって思い出のある場所でもあった。まだ付き合い始める前、いつも僕らを見守ってくれるA夫妻とEさんと一緒に訪れたことがあった。当時お互いを意識していた僕らは、3人をおいて、二人で一足先に海辺に向かった。そのとき、僕は砂浜にある滑らかな石を拾い、海に向かって投げて、石が水面を跳ねるのををJOYに見せようとした。

日が落ちた後の静かな浜辺で僕らは散歩し、そして暗くなってからも波の音を聞いたり、星を見たりして過ごした。葉山海岸には、所々松の木と芝生が生えたようなところもあり、そこでもしばらく横になって星を見上げた。

帰りは、小さなイタリアンレストラン、FATTYSに寄って食事をした。とてもムードの良いお店で、JOYがお気に入りのレストランだ。

また思い出に残る一日ができた。


神様と妻の愛、そして自然のやさしさの中で魂が癒される一日だった。

JOY、ありがとう。楽しかったね!


そして、空と海と風と星をつくられた天のお父様、ありがとうございました!



 主は私を緑の牧場に伏させ、
 いこいの水のほとりに伴われます。

 主は私のたましいを生き返らせ、
 御名のために、私を義の道に導かれます。
 (詩篇23篇3,4節)

2007年10月1日月曜日

幸せな時間

今日は7時前には会社を出ることができた。8時過ぎに帰宅。

JOYはマーボー豆腐をつくってくれた。

土曜日と日曜日はとても幸せな時間を過ごした。特に何をしたというわけではない。土曜の夜は映画を観に行ったが、その他はJOYと家にいて一緒にドキュメンタリーを見たり、メッセージを聴いたりしていた。そして、とにかくゆっくりと休んだ。

ただ一緒にいるだけでとても幸せだった。

こういう幸福な時間は人間にとって、とても大事なのではないだろうか。今日駅から自宅に向かう途中で石段の階段を登りながらそう思った。

僕の両親は離婚してしまったが、結婚して僕が生まれて最初の10年間は自分の人生の中で一番幸せだったと父はよく言っている。僕も両親がとてもハッピーだった時期に幼少期を過ごしているので、その幸せの記憶が確かにある。

そう、幸せの記憶。これは人にとってとても大事なのことなのではないか。土曜日と日曜日にこの幸せの記憶をまたつくることができてとてもよかった。

話は変わるが、旧約聖書のイザヤ書には次のような一節がある。

まことに主はシオンを慰め、
そのすべての廃虚を慰めて、
その荒野をエデンの園のようにし、
その砂漠を主の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声がある。
(51章3節)

これは、イスラエルの民がバビロニアに捕囚として連れていかれ、祖国が荒れ廃れたときに預言者イザヤが発した希望のことばだ。 イスラエルの民の中には、バビロニアに連れていかれても、決してシオンを忘れない者達がいた。


ちなみに、僕は自分の結婚において、このみことばに希望をおいた。そしてその通りとなった。

さて、エデンとは、もともとpleasure、つまり楽しみという意味らしい。神様がはじめに創造された場所は楽しみと喜びにある場所だった。神様と男と女は家族となり、神様の創造を思い存分楽しんだ。

人には、心のどこかにこのエデンの園の記憶があるのではないか。

自分自身にこの「幸せな時間」が回復し、そう思う。この実感は何か忘れかけた懐かしいものでもあるのだ。

どうか一人でも多くの人の心に幸せの記憶が、エデンの園の記憶が、神の御国が回復されることを祈るばかりだ。柔和な神の御子を通して。