2007年10月1日月曜日

幸せな時間

今日は7時前には会社を出ることができた。8時過ぎに帰宅。

JOYはマーボー豆腐をつくってくれた。

土曜日と日曜日はとても幸せな時間を過ごした。特に何をしたというわけではない。土曜の夜は映画を観に行ったが、その他はJOYと家にいて一緒にドキュメンタリーを見たり、メッセージを聴いたりしていた。そして、とにかくゆっくりと休んだ。

ただ一緒にいるだけでとても幸せだった。

こういう幸福な時間は人間にとって、とても大事なのではないだろうか。今日駅から自宅に向かう途中で石段の階段を登りながらそう思った。

僕の両親は離婚してしまったが、結婚して僕が生まれて最初の10年間は自分の人生の中で一番幸せだったと父はよく言っている。僕も両親がとてもハッピーだった時期に幼少期を過ごしているので、その幸せの記憶が確かにある。

そう、幸せの記憶。これは人にとってとても大事なのことなのではないか。土曜日と日曜日にこの幸せの記憶をまたつくることができてとてもよかった。

話は変わるが、旧約聖書のイザヤ書には次のような一節がある。

まことに主はシオンを慰め、
そのすべての廃虚を慰めて、
その荒野をエデンの園のようにし、
その砂漠を主の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声がある。
(51章3節)

これは、イスラエルの民がバビロニアに捕囚として連れていかれ、祖国が荒れ廃れたときに預言者イザヤが発した希望のことばだ。 イスラエルの民の中には、バビロニアに連れていかれても、決してシオンを忘れない者達がいた。


ちなみに、僕は自分の結婚において、このみことばに希望をおいた。そしてその通りとなった。

さて、エデンとは、もともとpleasure、つまり楽しみという意味らしい。神様がはじめに創造された場所は楽しみと喜びにある場所だった。神様と男と女は家族となり、神様の創造を思い存分楽しんだ。

人には、心のどこかにこのエデンの園の記憶があるのではないか。

自分自身にこの「幸せな時間」が回復し、そう思う。この実感は何か忘れかけた懐かしいものでもあるのだ。

どうか一人でも多くの人の心に幸せの記憶が、エデンの園の記憶が、神の御国が回復されることを祈るばかりだ。柔和な神の御子を通して。

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