2007年12月9日日曜日

日々の葛藤と癒し

日々の葛藤を人は一体どこへもっていけばよいのだろうか。

それはやはり家庭ではないだろうか。

子供のときは父と母。そして結婚したら、伴侶に。

しかし、家庭が修羅場となったとき、人は一体どこの自分の葛藤や悩みをもっていけばよいのだろうか。

しばらく前に、JOYが古本屋で「アダルト・チルドレン」という本を買ってきてくれたのだが、この本の中で、社会をさまよい、遊郭で働くようになるあるアダルト・チルドレンの女性のエピソードがあった。彼女のお客さんには、なぜか社会的に地位の高い男性が多かった。以下はこの本からの引用である:

 お客は心の部分を私に求めてきていたと思う。私はそういうところでお客さんをつくっていったのかもしれない。『君しか言えない』『だれにも言えない』と男が愚痴をこぼしていく。相手はみんな社会の上層部にいるから、私は何か社会の”影武者”みたいになった気分だった」

 テレビに顔を出す有名な評論家や政治家は、「この場所で君といるときが一番ホッとする。何もしなくていいから、もう一時間いさせてくれ」と、三万円を余計に払っていく。企業の重役や高級官僚が愚痴をこぼす。「家もいるところがなくて寂しいよ」「出生してここまできたのに家族は自分に無関心で」

 幸い、この女性はその後、この仕事からも抜け出し、結婚をするのだが、僕はこの本を読んでいて、上に引用した箇所がとても印象に残った。実際に多くの男達がただ、肉体的な関係だけではなく、心がホッとする場所を求めて、遊郭にいくというのが、今の日本の現実なのかもしれない。しかも、社会的に地位のある男性達が。

 しかし、本来男達が重荷をおろすべき場所は家庭なのだ。家庭でこそ癒され、戦場に戻る準備を整えられるはずなのだ。

 もうひとつ、印象の残るドラマを先日見た。女子囚人を扱ったドラマだった。泉ピン子が演じる主人公は、父親の介護と家族の面倒を見る中で疲れ果て、ついパート先で知り合った男性と浮気をしてしまう。夫は会社が倒産し、その後タクシーの運転手になって家庭を支えるのだが、妻の心にまで配慮する余裕がなくなる。そこで、妻はつい、自分を女性としてみてくれた男性に心を動かされてしまうが、この浮気は夫に知られてしまう。夫は、激しく妻を責めるのだが、そのとき妻が夫に言ったせりふがとても印象的だった。

自分も女もであり、女として見てもらうことことが大事だった。そして夫に女として扱ってほしかったと。

僕自身、このドラマを見て、夫婦の関係の中で、妻を女としてみて、女として扱い、女としての幸せを与えることがどれだけ大切かを学んだような気がした。

実際、このドラマに登場する多くの女子囚人は、夫との何らかのトラブルが犯罪の引き金となっていった。

女性が男性に求める愛情も、そう、本来は家庭の中で受けられるものなのだ。

幸い、このドラマでは、夫がガンを宣告され、その後、妻にもう一度やり直そうという手紙を書くところで終わっている。

男性が男性として必要なもの。そして、女性が女性として必要なもの。本来神様は、家庭の中でその必要が満たされるように、家族を創られた。ところが、現代社会では、男も女も家庭では必要が満たされずに、他の場所でその必要を満たそうとして探した結果、いろいろな悲劇が起こってしまう。

それでは、なぜ家庭が壊れるのか。なぜ家庭は癒しの場ではなく、修羅場となってしまうのか。

それは、家庭をそもそも創ってくださった神様から人が離れたからではないだろうか。家庭において、神の権威を認めず、夫と妻がそれぞれ自分勝手に振舞ってきた結果、家庭が破壊されてきたのではないだろうか。

そして、多くの現代人が家庭という癒しと回復の場を喪失し、漂流を続け、多くの悲劇が起きているのではないだろうか。

この現状を見て、最も心を痛めているのは、他でもない、天の父であろう。

そして、天の父は、ご自身に立ち返る道を備えるために、ご自身の御子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされた。

イエス様は、この地上を歩まれたとき、この世で癒しの場を喪失し漂流する罪人達を深く哀れまれ、、ご自分の下に来て、「重荷をおろすように」と招かれた。

願わくば、この時期、慈しみ深きイエスを通して、多くの癒しの場が再生されますように。

1 件のコメント:

mopoopoo さんのコメント...

欧米では(欧米か!?)たいてい夫婦はお互いにファーストネームで呼び合う。
日本の場合は、子供ができるとお互いに「お父さん」「お母さん」「パパ」「ママ」と、とっくに子供たちが巣立っていっても呼び続ける夫婦が多い。
また欧米の教会では必ず家族は一緒にくっついて座っているのに対し、日本の教会ではばらばらに座っているのが一般的だ。
ある心の専門家がいっていたが、日本のクリスチャン家庭は今までの感情のもつれのために一緒に祈ったり聖書を読んだりするのが難しいという。(もぷぷもこれにはアーメンせざるを得ない)
では健全な家庭を作り上げるのは何か。いのちである。内に生きるキリストご自身だ。私たちがこのうちなるキリストを見出し、彼に家庭を作っていただくときに、真の回復がなされていくであろう。